MGC・コルトコマンダー&コンドルデリンジャー 資料発掘 ~あの日 あのとき あのトイガン~
あの日 あのとき あのトイガン
1962年、当時の日本は貿易自由化の中にあり、数年前より海外製キャップガンが輸入されていました。
そんな中、1960年に設立された日本MGC協会から、1962年8月に 「 コルトM1911コマンダー 」 が、
コンドル工業からは、1962年12月に 「 コンドルデリンジャー 」 が発売されます。
うち、MGC製コルト・コマンダー(コルト・M1911コマンダー)は、
米国ヒューブレー製キャップガンの改良モデルであったとのことです。
( 参考 : 『 モデルガン&エアガンとトイガン業界の歴史 1950~70年 』)
この頃はモデルガンに対する特別な法規制が一切なく、
改造対策も不完全だったため、これら2つのモデルガンは
国内産初の販売禁止モデルガンとその第二号になってしまいます。
■時系列でみる”MGCコルトコマンダー事件”、”コンドルデリンジャー事件”
・ 1962年08月xx日 ・・・ コルトコマンダーが発売
・ 1962年11月08日 ・・・ コルトコマンダーの販売禁止と回収・廃棄の行政指導が決定
・ 1962年12月xx日 ・・・ コルトコマンダーの販売禁止と回収・廃棄の行政指導を実施
・ 1962年12月28日 ・・・ コンドルデリンジャーが発売
・ 1963年01月14日 ・・・ コンドルデリンジャーが販売禁止に
■読売新聞、1962年11月8日、夕刊
オモチャの短銃 浦和で製造禁止
【浦和発】ガン・ブームのおりから県警防犯課と浦和署では高級がん具ピストルの製造元の一つ、
浦和市上木崎五七四の二日本MGC(モデル・ガン・コレクション)協会(神保勉社長(三二))で製作された
オモチャのコルト・コマンダー38口径が武器等製造法にふれるとして近く業者を呼び、
このピストルの製造中止、全国的な回収、廃棄の行政指導を行うことを八日きめた。
これはさきに同署が同ピストルを警察庁科学警察研究所に送り鑑定を依頼した結果
「弾丸を発射しうる機能を有する」との回答に基づき製造中止命令にふみ切ったもの。
日本MGC協会はコルト・コマンダー(売価二千五百円)をはじめ十種類近くの高級がん具ピストルを発売、
コルト・コマンダーはさる八月から月産千五百丁で市販は都内だけ。
全国組織のあとは会員制で現在までに約四千丁を売っている。
このピストルは全体の寸法が本物よりもひとまわり小さいが鉄合金製でずっしりと重く本物そっくり。
真チュウ製のタマのうしろに火薬を詰めこれを銃ハのうしろから詰め込み
遊底を引くと弾丸が装てんされるという構造も本物そっくり。
なお、このピストルはさる八月二日、東京・大田で銀行帰りの
大森職安庶務課経理担当浜田三郎さん(二八)を襲った犯人
板橋区板橋町六の三二九八工場経営者川辺右衛門(二八)に使われている。
※文章は適当なところで改行してあります
この記事はMGC製コルト・コマンダーの製造禁止を報じるものです。
材質は鉄合金だったようで、重さのほか強度もあったのではないかと思われます。
記事中の”本体の寸法が本物よりもひとまわり小さい”という特徴は
現・WesternArms M4A1 (もとはMGCの金型) にもみられる特徴ですが、
もしかするとその設計思想の系譜にこの製品があるのかもしれません。憶測ですけどね。
■読売新聞、1963年1月23日、夕刊、都民版
出回るオモチャの”凶器”
改良して危険な遊び 警視庁 業者、学校に警告
昨年暮れから正月にかけて二軒のオモチャ短銃工場が東京と埼玉で手入れをうけた。
輸入のオモチャ短銃が発売禁止になったことはあったが国産品ではこれがはじめて。
さる十二月、埼玉県浦和市の日本MGC協会製の”コルト・コマンダー”がオモチャの短銃では全国初の
発売禁止になったが、このとき警察庁は「少し改良すれば威力があるタマが出るピストルはオモチャでも
”銃砲刀剣等所持取締法”で持つことを禁ずる」という異例の見解を打ち出した。
コマンダーは銃口をふさいでいるプラスチックの棒を取りはずすと撃発装置が完全なので、
鉛のタマが一■はなれた厚さ三㌢の板を打ち抜くほどの威力をもっていた。
さる十一日には北区の工員が”改良コマンダー”を頭につけて発射、自殺したが
「オモチャのピストルで自殺したのははじめてだろう」と調べにいった王子署員がびっくりした。
十二月四日には中野区立五中で、おじぎをしようとした生徒の
ポケットの中のコマンダーが暴発、二週間のケガ。
さる十四日、コマンダーに続いて新宿区花園町コンドル工業製の
”コンドル・デリンジャー”が発売禁止第二号になったが、これも性能はコマンダーと同じで、
一昨年発禁になった輸入オモチャ短銃九■以上の威力を秘めており、オモチャのピストルでは
貿易自由化に十分対抗できる”優秀品”がそろっていることがわかるという皮肉な結果となった。
”デリンジャー”の場合は十二月二十八日に売り出したが、正月をはさんで
わずか二週間に一千丁が売れるというほどの人気。警視庁の調査では買うのは大半が中学生。
プラスチックのタマではおもしろくないので買った中学生は大なり小なり改良しているという。
コンドル工業の責任者は「少しあぶないと思ったが売った」と釈明したが、
警視庁では「製造している業者は性能をいちばんよく知っているはず」と非良心的な業者を激しく攻撃している。
業者は「最近のこどもたちには、オモチャらしいオモチャは喜ばれない。
形も性能もホンモノに近づけないと売れないという悩みもあるんです。そのへんがむずかしいところで」という。
※”■”の部分は判読不能
※色付けは当ブログ主による
※一部のみ引用
※文章は適当なところで改行してあります
このモデルガンによって、王子署員いわく”初のモデルガン自殺者”が発生しました。
その後もモデルガンやエアガンによる事故・事件が発生していくことになります。
なお、コンドルデリンジャーはペレット弾を使うモデルだったようで、
記事中の 「 プラスチックのタマ 」 というのはペレット弾のことだと思われます。
ただし、この部分の情報は少なく、どのような製品だったか詳しくは分かりません。
記事中の 「 形も性能もホンモノに近づけないと売れないという悩みもあるんです。 」 という説明は、
その後のトイガン文化にも影響し続け、今日のグレーゾーンであるハーフメタルに至るまで、
ずっと影を落とし続けることになります。
今回の2つの記事は、別の調べものをしているときに偶然発見したものですが、
やはり55年も前の記事となると言葉遣いの節々に現代との差が見られます。
戦後はまだこれで済んでますが、戦前になると漢字の関係で非常に読みづらいです。
ということは、このブログも半世紀後には読みづらいものになっているということなのでしょうか・・・?