私の兄弟が食卓で薬品を使っている件、以前に注意し、
食卓横で使う件、やはり注意し、・・・
しかし今日、またも食卓で使っていたため咎めるも恍け、
詰問すると認めるも性根の腐った態度を取ったところために、
後頭部を殴りつけ、向かってきたところを蹴り飛ばしてやった次第。
私は家族に対し、何度も資金援助しないよう求めるも拒まれ、
やはり、今月も何万円か渡すことを約束した。
私がアルバイトで稼いだ35,000円のうちの25,000円を家に入れるのはなぜなのか、
それは家族と私のためだが、兄弟への小遣いではない。
そのことも堪えられないほど頭に来ていた。
口論になってもまだ兄弟は反省などせず、呆れるほどばかげたことを言う。
20代も後半に入った社会人、生計を分かち、住まいを分かつことも普通であるだろうに。
稼ぎは少なく、家に入れる金など5万円ほどしかない。そして保険料も税金も親任せ。
兄弟は私を殺すとさえ言った。
ただこれは激昂しているわけであるし、私自身もそれくらいの考えを持つことはある。
ただ、せっかく金と住居を提供して生かしておいた結果がこれかと、失望した。
この家から金を持ち出すやつは、生死にかかわらずここから出ていけと、そう言っておいた。
一人で生きていけないなら、生きてなくても一人になる。そういうこと。
両親はこれから自立すればいい、と言い続けるが、私はホームレスにしてでも叩きだすべきだと思っている。
どんなに金を使い込もうとも、助けてくれる人がいる限り、それを反省しない。
しかし誰も助けてはくれないと分かると途端に倹約家になれる。
厳しいことを言うようだが、相手は立派な社会人であるのだし、
荷物をまとめてこの家から出ていくように言い、また家計を分かつべきと思う。
その先で飢えようと、破産しようと、それはもはや本人の責任と思う。
事実としてそうであることを隠してはいけない。隠す限り、良くならない。
父は礼儀や言葉遣いがどうこうと言う人間で、それは美徳であると思うが、
やはりそれは表面的なことでしかないわけだし、結果的には人によって対応を変える人間が出来上がった。
兄弟は自分の親父に媚を売るような人間になってしまった。
金をせびるために、金を渡す人間にだけ気を良くするように接待する人間に。
それは美徳とはいえないような行為であると私は思う。
父はこうも言った、金に汚くなってはいけない、と。
しかしその意味は、金の話をしない人間になりなさい、だった。
事実、父は金の話をしない。
でもそれは金に無頓着なだけであって、キレイなわけではないと思う。
結局そこに付け込んで金をどんどん使いこんでるヤツがいるじゃないか。
本当に金にキレイでありたいなら、一番最初に金の話をするべきで、
最後まで金の流れを監視しなくてはいけない。人は放っておけば平気で悪いことをする。
落ちてる金は拾うし、貰える金はいくらでも大きくしたい。
そもそもの話、なぜ金が足りないのかといえば、稼ぎの多い少ないというところではなく、
どれだけ贅沢な暮らしを送っているかというところである。
モノを買い、高い料理を食い、高いサービスを契約し、無駄な支出をする。
そんなことが許されるのは高給取りだけであって、一般的ではない。
私たちはもうすぐ、家族全体で年収400万円以下になる。
そんな中で、なぜ贅沢な暮らしを送れるだろうか。
こうなるとすぐに住居を替える、水道光熱費を節約する、と言い出す人がいる。
しかしそれは有効打ではない。なぜなら住まいは多かれ少なかれ家賃がかかるわけだし、
水道光熱費については文化的な暮らしをするうえで必須の物であるからだ。
その点、高いモノも、高い料理も、高いサービスも、どれも削ったらどうだろうか。
何も買わず、ただ生きるだけの暮らし。それにいくらかかるか、計算してみただろうか。
人の所得は低い低いと言われるような額でも以外と余裕がある。
私は、いざとなればたくさんの贅沢を潰す決心がついている。
貧しい暮らし。しかしそれが自分の”身分”であると受け入れなければならない。
たとえ借金をしても、いつかは返す日が来る。どうやっても逃れることはできない。
これを受け入れられないから、貧しい暮らしを恐れ、揚句人に金をせびる人間になる。